「あや子さんのやきもの」

井上

* あや子さんはやきものが根っから好きなんでしょうね。
のめり込んでいると言った方がいいのかな。
あの丸っこい優しげな身体にはエネルギーがいっぱい詰まっていて、勇壮な作品を生み出してくるんです。

このギャラリーに載っている作品のいちいちについて私はなにか言う資格はありません。
でも、どうです?写真から私の言うことを感じ取ってください。

公立の養護学校の教員という職業、妻、母親、これらをこなしながら焼き物をやっているんです。
その焼き物たるや中途半端なものじゃないんです。
まず一年に作る量、大きい物を作るのです。かといって小さな雑器を作らない訳ではありません。きちっと生活用品だっておちゃのこさいさいで作った上でその大きな作品も作るのですよ。その作品の量、作品から滲み出るエネルギー

* この横浜陶芸友の会にはいろんな方がいます。

陶芸教室を開いている人。陶芸教室に通っている人。20年、30年の陶芸経験者、去年始めた人。作らないけれど見るのが好きという人。何しろ焼き物の好きな人達の集団です。

その中にあって、あや子さんはその作風、取り組み姿勢といったものが、ちょっと追従を許さない典型なんじゃあないですかもね

毎年この会には、会として全国の著名な窯場に出かけるのですが、その先発隊にはいつも彼女が、前もって窯場の陶芸作家に会ってきて、単なる見学ではなく作家に直接話を聞けるようにきっちり渡りをつけてくれるんですが、彼女はその都度その作家に入れ込んで来るんですかね

わかりますか?有田もいい、備前もいい、九谷もいいし伊賀もいいというのが焼き物じゃあないですか。
その焼き物にその都度浮気するんですね。その地場産業の焼き物なんていう漠然としたものでなく、もっと具体的にその訪ねた作家の作品とそれを作る作家のその人柄と一緒に気に入ってしまうみたいです。

そうしておいて、その翌年、彼女の作品は明らかにその影響をあらわに見せながらジャンプするんです。
あや子さんの作品はそういう作品なのです。

どうぞごゆるりご覧あれ!

                    「ガーデンセット」
一番大きく重い作品、千葉の我が家の庭で沢山のお客さんを迎えています。



陶芸との出会い

清水

貧しい山村で育った私の遊び道具は石ころ、水溜り、木、川、山などの自然界全てでした。

どろんこ遊びもよくしました。ままごと遊びでは、形よく崩れないお団子を作るのに苦労しました。

粘土との出会いは、そこからですが特に図工や美術が得意でもありませんでした。とっても不器用な私ですから、創作することは苦手で成績も悪かったです。

そんな私が、陶芸に出会ったのは、25年前頃小学校1年生を担任し「造形あそび」の授業の時でした。

「あの土の触感を味あわせたい」と、初めて土粘土で授業をした時です。油粘土と違い、土粘土は準備も後片付け、粘土の管理も大変でしたが、子供達の気持ちよさそうに粘土遊びをしていた姿は忘れられません。

その次の出会いは、知的障害者の養護学校の授業です。

まったく陶芸の知識のない私は、「陶芸の勉強をしなければ」と、いろんな人に声を掛けました。

やっと自宅近くで教室ではないが個人的にやっていた塩川先生に会いました。手びねりで作りました。

土曜日の3時頃から2時間くらいですが作品を作ると言うよりおいしいコーヒーをいただきながら陶芸や教育のおしゃべりをした時間の方が長かったです。

先生は、どんな作品でも「いいね。」と、受入れてくださいました。焼成もまったく分からない私は、生徒の作品を持ち込み教えていただきました。

その後横浜根岸の陶芸研修センターで高木先生に指導していただきました。

厳しい先生の指導に涙したこともありました。今思えば、なんと大切な多くのことを教えていただいたと、思うのですが、あの頃は意味も理解できず落ち込みました。

もっと教えていただけばよかったと、後悔してます。


作品紹介

                    我が家の陶壁「ひまわり」  17枚の陶板から

陶板作りには職場の栗林さんにご指導していただきました。
短期間(1泊2日)の作業の為に、溝口さん、我が夫にも協力してもらいました。

色々な土で、色々な焼成方法で作った急須




今、「陶芸は私のたからもの」

たくさんのすばらしい人達に会えたね

たくさんの方々からいろいろなことを教えてもらったね

「え!」と、たくさんの驚き、感動をもらったね

せまーい私の世界を広げてくれたね

作陶しながら、自分の心とおしゃべりできたね

 陶芸は、やっぱり私のたからもの


養護学校の生徒達も作品展に来てくれました。